副業やめた。40代が「本業一本」を選んだ理由と結果

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副業を始めたとき、正直なんとかなると思っていた。

仕事終わりの2〜3時間。
それだけあれば、もう一本の収入が作れると。

でも実際は違った。
本業で使い果たした頭で、副業をやろうとしていた。
稼げなかった。続かなかった。疲れだけが残った。

やめた。

罪悪感はあった。「諦めたのか」と思う自分もいた。
でも今は、これを選んだことが正解だったと思っている。

副業をやめて変わったこと、やめるまでの経緯を正直に書く。


副業を始めたころの話

副業を始めようと思ったのは、お金の不安からじゃない。
「このままでいいのか」という、漠然とした焦りからだった。
40代に入って、仕事以外に何もない自分が気になり始めた。
稼げなくてもいい。何か動いていたかった。
そこから始まった話だ。

副業をやろうと思った理由

きっかけはSNSだった。
副業で月5万、月10万という投稿がタイムラインに流れてくる。
「本業だけで一生終わるのか」という気分になった。

トラックを走らせながら、漠然と考えていた。
俺にも何かできることがあるんじゃないか、と。

動機は不純じゃないと思っていた。
でも今思えば、焦りをエネルギーに変えようとしていた。
そういう副業の始め方は、だいたい長続きしない。


焦りで始めたものは、焦りで終わる。


最初の1〜2ヶ月、やっていたこと

ライティングの副業を始めた。
クラウドワークスに登録して、案件を探した。
単価は安かった。でも最初はそれでもいいと思っていた。

仕事終わりの夜、21時ごろから始める。
1本書くのに2〜3時間かかった。
報酬は数百円だった。

「慣れれば早くなる」と思っていた。
「続ければ単価も上がる」と思っていた。
実際、少しずつ書けるようにはなった。

ただ、体は正直だった。


続けていたのか、惰性で動いていたのか、自分でもわからなくなっていた。


仕事終わりに副業をするとはどういうことか

トラックの仕事は、頭より体が先に疲れる。
でも帰宅したころには、頭の方がもっとくたびれている。
走行ルート、荷物の状態、細かい判断の積み重ね。
それをまる一日やって帰ってくる。

その状態で、文章を書こうとしていた。

書けない夜は焦る。
焦るとさらに頭が動かない。
結局、なんとか1本仕上げて、日付が変わる。

翌朝、また4時起きだった。

睡眠を削って副業をしていた、ということに気づいたのはしばらく後だ。
削っているという感覚すらなかった。
ただ、毎日少しずつ何かがすり減っていた。


仕事終わりの脳に、副業の入る余地はなかった。


副業が消耗に変わっていった

最初は「慣れれば変わる」と思っていた。
でも慣れた頃には、別の問題が出ていた。
書くスピードは上がった。疲れ方は変わらなかった。
ある時点から、副業が「やること」ではなく「やらなきゃいけないこと」になっていた。

本業で使い果たした頭で副業をするとは

帰宅してソファに座ると、立ち上がれなくなる夜がある。
「10分だけ」と思って横になると、気づいたら23時だ。
副業をやろうとしていた時間が、そのまま消えている。

それでも翌日また「今日こそやろう」と思う。
また同じことになる。

本業で頭を使い切ってから副業をやろうとするのは、
満タンのゴミ箱に、さらにゴミを押し込もうとするようなものだ。
入らない。当たり前だ。


消耗した頭では、何も生まれない。


家族との時間が削られていると気づいたとき

息子が3歳になったころ、気づいたことがある。
帰ってきた俺に「パパ!」と走ってくる。
でも頭の中は「今夜の副業どうしよう」だった。

息子と遊びながら、ずっとスマホを気にしていた。
妻と話しながら、上の空だった。

体は家にいる。でも頭は副業のことを考えている。

「一緒にいる」と「一緒にいる気になっている」は違う。
それに気づいたとき、少し気持ち悪くなった。

副業の時間を作るために、家族の時間を薄めていた。
そういうことだった。


稼ごうとして、大事なものを削っていた。


副業収入より、失っているものの方が多かった

月に稼いでいた金額は、数千円だった。
悪い金額じゃないと思っていた。

でも翌朝、眠いまま朝のコンビニで缶コーヒーを買っていた。
仕事前に缶コーヒーが必要な体になっていた。

数千円のために、何を払っていたのか。

お金は通帳に入る。
削れた睡眠と、薄まった家族の時間は、どこにも記録されない。
でも確実に、なくなっていた。

収支が合っていなかった。
お金の収支じゃなく、生活の収支が。


副業で得たものより、副業で失ったものの方が大きかった。


やめると決めた

劇的なきっかけがあったわけじゃない。
ある夜、案件を開いて、画面を閉じた。
それだけだった。
でもそのとき「もうやめよう」と、はっきり思った。

やめる決断のきっかけ

その日は特別に疲れていたわけじゃない。
いつも通りの仕事だった。いつも通りの帰り道だった。

帰宅して、飯を食って、息子を寝かしつけた。
それからパソコンを開いた。
案件一覧を見た。

何も感じなかった。

やる気がない、というより、何もなかった。
怒りも焦りも、もう稼ごうという気持ちも。
ただ画面が光っていた。

静かに閉じた。

「今日はいいか」じゃなかった。
「もういいか」だった。


感情が消えたとき、答えが出ていた。


やめることへの罪悪感はあったか

あった。正直に言う。

「せっかく始めたのに」という気持ちはあった。
「続けられない自分はダメなのか」とも思った。
副業で稼いでいる人の投稿を見ると、少しざわついた。

でも罪悪感は、だんだん薄れていった。

やめた翌日の朝、久しぶりに頭が軽かった。
夜に「やらなきゃ」がない。
それだけで、一日の重さが違った。

罪悪感より、軽さの方が早く来た。


やめた翌朝の頭の軽さが、答えだった。


「諦め」じゃなく「選んだ」と思えた理由

最初は「諦めた」という言葉が頭に浮かんだ。
続けられなかった。だから諦めた。そういう話だと。

でも少し経って、見方が変わった。

俺は副業に向いていない環境にいた。
本業でへとへとになる仕事をして、3歳の息子がいて、睡眠も足りない。
その状態で副業を回そうとしていた。

できなかったんじゃなく、やる余白がなかった。

余白のない状態で無理に詰め込もうとしていた。
やめたのは敗北じゃなく、設計の修正だ。

諦めと撤退は違う。
俺は撤退した。


余白のないところに、新しいものは入らない。


やめてから変わったこと

副業をやめて、何かが劇的に変わったわけじゃない。
収入が増えたわけでも、急に幸せになったわけでもない。
ただ、じわじわと「静かさ」が戻ってきた。
その変化を、正直に書く。

夜の時間の使い方が変わった

以前の夜は、常に「やらなきゃ」があった。
パソコンを開くたびに、案件のことが頭をよぎった。
開かない夜でも、開いていない罪悪感があった。

それがなくなった。

夜が、ただの夜になった。
息子の寝かしつけが終わったあと、妻と話すことが増えた。
本を読む気になる夜もある。
早く寝ることに、罪悪感がなくなった。

「夜に何かしなきゃ」という圧力が消えただけで、
一日の終わり方がまるごと変わった。


「やらなきゃ」がない夜は、ちゃんと夜だった。


本業への集中度が上がった

副業をやっていたころ、本業中にぼんやりすることがあった。
睡眠が足りていないせいもある。
でもそれより、頭のどこかが常に副業のことを考えていた。

「今夜何時間取れるか」「あの案件の締め切りは」。
トラックを走らせながら、関係ないことを考えていた。

やめてから、その雑音が消えた。

仕事中は仕事だけを考えるようになった。
当たり前のことだけど、できていなかった。

本業の質が上がったかどうか、数字ではわからない。
でも「今日の仕事に全部使えた」という感覚は増えた。


頭が一本になると、仕事が静かになる。


疲れ方の質が変わった

疲れること自体は変わっていない。
トラックの仕事は今でも体に来る。

でも疲れ方の質が違う。

以前は「疲れた上にまだやることがある」疲れだった。
今は「疲れたから休む」だけだ。

疲れの出口が、ちゃんとある。
それだけで、回復の速さが変わった。

翌朝の頭の状態が違う。
「また一日始まる」が、少し軽くなった。

副業をやめて収入は減った。
でも消耗の量も減った。
どちらが生活にとって大きかったか、今は明らかだ。


疲れに出口があるだけで、人はちゃんと回復できる。


副業より先に整えるべきだったもの

副業をやめてから気づいたことがある。
問題は副業をやったことじゃなかった。
余白のない状態で始めたことだった。
順番が違ったのだと、今は思っている。

副業は「余白のある人」がやるものだった

副業で成果を出している人の話を読むと、共通点がある。
本業が安定していて、生活の設計ができていて、時間の余白がある。
その上で、副業というもう一枚を重ねている。

俺はそうじゃなかった。

本業で消耗して、家事も育児も回して、睡眠も足りない。
その状態で「副業」という一枚を無理やり差し込もうとしていた。

余白に積むのが副業だ。
余白を削って副業をやるのは、設計が逆だ。


器が空のまま、注ごうとしていた。


消耗していた根本原因を先に直すべきだった

副業をやめた後、改めて自分の生活を見直した。
判断が多すぎた。夜の時間の使い方が雑だった。
疲れが抜けない理由が、副業だけじゃなかった。

献立を毎日考えていた。
家計を細かく管理しようとしていた。
通知が来るたびにスマホを見ていた。

小さな消耗が、あちこちに散らばっていた。

副業を足す前に、そっちを整えるべきだった。
漏れているバケツに、水を注いでいるようなものだった。

副業より先にやることが、生活の中にあった。


足す前に、漏れを塞ぐ方が先だ。


今の設計で、十分だと気づいた

副業をやめて、生活の設計を少しずつ変えた。
献立をパターン固定にした。
スマホの通知を切った。
投資はオルカン一本で、見ない設計にした。

派手な変化じゃない。
でも積み重なると、毎日の余白がじわじわ戻ってきた。

副業で月数千円を稼ごうとしていたころより、今の方が豊かだと思っている。
お金の話じゃなく、頭の状態の話だ。

稼ぐことより、消耗しない設計の方が、40代には効いた。
今はそう思っている。


今は、夜に何もしない時間の方が、俺には合っている。

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