お金の管理を考えると頭が疲れる。それが『管理しない設計』を選んだ本当の理由

お金の設計

帰宅して、靴を脱ぐ前にスマホを開いた。
家計簿アプリを開こうとして、手が止まった。
また今日も、開かなかった。

意志が弱いのかと思っていた。
続けようとするたびに手が止まる。
何度目か、数える気にもなれなかった。

家計管理 疲れる、という感覚に、名前がつかなかった。
でも違和感はずっとあった。
管理しようとすること自体が、頭を削っていたのだと気づいたのは、やめてからだ。


お金のことを考えようとするたびに、頭が重くなる

夜、家計簿アプリを開こうとする。
でも手が止まる。

「今月いくら使ったか」「固定費はどうなっているか」
考えようとするだけで、どっと重くなる。

これは最初からずっと続いていた。
始めようとするたびに腰が重い。
「今日は疲れたから明日やろう」が口癖になった。
明日が来ても、また明日になった。

3ヶ月で家計簿アプリを3回変えた。
どれも続いたのは2週間が限界だった。

アプリが悪いわけじゃない。
俺の意志が弱いわけでもなかった。
そもそも、管理を始めようとするタイミングが間違っていた。

夜の10時に、一日分の疲れを抱えてアプリを開こうとしていた。
それができないのは、当然だったと思う。


続かなかったのは、意志のせいじゃなかった

続かない自分を責めていた時期がある。

意志が弱い。やる気がない。
続けられる人がいるんだから、自分がおかしいのかと思っていた。

でも、あるとき気づいた。

帰宅してから最初にやることが「判断」だった。
今日の夕食は何にするか。
子どもの宿題を誰が見るか。
風呂は俺が入れるか、妻が先か。

仕事から帰って、玄関を開けた瞬間からすでに判断が始まっていた。
その上に「今月の支出を管理する」を乗せようとしていた。

バッテリーが空のところに、充電を要求していた。

続かなかったのは、意志の問題じゃない。
容量がなかっただけだ。

夕食の後、息子が「今日ね」と話しかけてくる。
頭の中でまだ仕事の続きが動いていて、「うん、そうか」しか返せなかった。
家計管理どころじゃない。

家計管理が続かないのは、怠けているからじゃない。
それだけは、はっきりわかった。


「管理する」という行為が、脳のバッテリーを削る

お金の管理は、見た目より重い。

レシートを確認して、カテゴリを選んで、金額を入力して、合計を見て、先月と比べる。
それだけで、小さな判断が5回以上起きる。

毎日やれば、月に100回以上の判断が「管理」に使われる計算だ。

「今月は食費が多かった。来月は減らすか?」
その問いが浮かんだだけで、また判断が始まる。
管理しようとするたびに、判断を呼び込んでいた。

仕事で使った頭と、家計管理で使う頭は同じものだ。
どこかで使えば、どこかが減る。

俺の場合、トラックの上でほとんどが減っていた。
道を選んで、時間を読んで、荷物の順番を判断する。
8時間の運転は、判断の連続だ。

帰宅する頃には、もうほとんど残っていなかった。
そこに家計管理を乗せようとしていた。

仕事の判断と家計の判断は、種類が違うようで同じバッテリーを使っている。
帰宅後に家計簿を開いて「食費が高い、来月は抑えよう」と思った瞬間、すでに重かった。
どこかが削れている、という感覚。
俺にはそれが体でわかった。

家計 脳疲労という言葉を知ったのは後からだ。
名前はなかったが、感覚はずっとあった。


仕事終わりの頭に、管理できる余力は残っていない

トラックに8時間乗ると、頭の中が空になる。

景色を見ながら、でも頭は止まっていない。
時間、距離、次の目的地、天気、前の車との間隔。
ずっと動いている。

帰宅する頃には、肉体と同じくらい頭も疲れている。
玄関を開けた瞬間、息子が飛びついてくる。
夕食の準備がある。

家計簿アプリをタップしようとして、そのまま置いてしまう。
「後でやろう」の後に来るのはいつも、風呂で寝落ちだった。

お金を管理する余力は、そこにない。

「今日は疲れたから」じゃない。
毎日疲れているんだから、毎日できないのが当たり前だった。
意志が強ければ続けられた、という話じゃなかった。


だから、管理じゃなくて「設計」を選んだ

管理をやめた。
その代わりに、設計した。

決めたのは、ある休日の午後だった。
妻が子どもを連れて出かけている間の、2時間だ。

やったのは一度だけだ。
固定費はすべて口座から自動で引き落とされるようにした。
積立はSBIで月1回、同じ金額が動く。
財布に入れるカードを1枚に絞った。

設計した日の1〜2時間がすべてで、その後は何もしていない。

アプリを開かなくなった。
毎月の支出を確認することもなくなった。

帰宅して靴を脱いでも、手が止まらない。
「今日は管理しなきゃ」という気持ちが、浮かばなくなった。

以前は帰宅のたびに、どこかで「家計簿、今日こそ」と思っていた。
やらなかった自分への小さな罪悪感が、毎日積み重なっていた。
その感覚が消えたのは、思っていたより大きかった。

息子の「今日ね」に、ちゃんと向き合えるようになったのもその頃だ。

管理しない設計を選んだのは、楽をしたかったからじゃない。
管理しようとするたびに何かが削られていると、ようやくわかったからだ。

設計した後は、お金のことを考えていない。
家計管理 疲れるという感覚は、もうない。
それだけのことが、ずいぶん長くかかった。

 

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