「機械に任せていいのか」と思っていた。
ホットクックを買ったとき、最初にあった感覚がそれだ。
家事を、時短家電に任せていいのか。
具材を切って、スイッチを押す。
あとは機械がやる。
高かったし、本当に使えるのかわからなかった。
それより先に、後ろめたさがあった。
楽していいのか、という感覚が残っていた。
それが消えたのは、浮いた時間に気づいたときだ。
皿洗いができた。
食べ終わったあと、息子と遊べた。
今は、その後ろめたさがない。
むしろ、家事を手でやるのがめんどくさいと思っている。
この変化がどこから来たのか、書いておく。
買う前、「これに10万円か」という気持ちがあった
ホットクックの値段を調べたとき、正直引いた。
安い機種でも5万円台。
買おうとした機種は、その倍近くした。
「具材を切ってスイッチを押せばできる」と聞いていた。
それがなぜこの値段なのか、ピンとこなかった。
レビューを読んだ。
「時短になる」「楽になる」という言葉が並んでいた。
でも100件読んでも、自分の家でどうなるかはわからなかった。
迷いながら買った。
失敗したら売ればいいと思って、踏み切った。
あとから気づいたことがある。
俺が本当に迷っていたのは、値段じゃなかった。
「これに頼っていいのか」という感覚が、先にあった。
そっちの迷いのほうが、ずっと長く続くことになった。
ホットクックで楽になった。でも「楽していいのか」と後ろめたかった
最初に作ったのはカレーだった。
玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、肉を切った。
鍋に入れて、ルーを乗せて、スイッチを押した。
あとは放置した。
できた。
ちゃんと美味しかった。
でも、そのとき思ったことがある。
「俺は何もしていない」という感覚だ。
手を動かしたのは、切るところまでだ。
火加減も見ていない。
かき混ぜてもいない。
焦げないか気にもしていない。
それで料理が「できた」と言っていいのか。
機械がやったんじゃないか。
誰かに見られているわけじゃない。
妻に言われたわけでもない。
でも、どこかに後ろめたさがあった。
楽になったのに、素直に喜べなかった。
手を抜いている感覚。本当はもっと手をかけるべきでは
後ろめたさの正体を、しばらく考えた。
「手をかけることが、家事だ」という感覚が俺の中にあった。
自分で火加減を見て、鍋をかき混ぜて、焦げそうになったら調整する。
それが「ちゃんとやっている」という状態だと思っていた。
機械に任せるのは、その逆だ。
手をかけない。
関与しない。
そこに後ろめたさがあった。
家電を買っておいて「楽していいのか」と迷うのは変な話だ。
でも、そう感じていた。
妻が帰ってきて「カレーできてる」と言う。
「ホットクックが作った」とは、なぜか言えなかった。
「俺が作った」とも言えなかった。
曖昧にした。
「頑張らなかった」ことへの罪悪感は、意外と根が深い。
ある日、それが気にならなくなった
転換点は、劇的なものじゃなかった。
ホットクックが動いている間に、食器を洗った。
いつもは料理しながら次のことを考えていた。
その日は、手が空いていた。
食事が終わった。
息子が「遊ぼう」と言ってきた。
以前だったら「ちょっと待って」と言っていた。
片付けが終わっていなかったから。
疲れていたから。
どちらかだった。
その日は、すぐ立てた。
ブロックを並べた。
崩した。
また並べた。
20分くらい、それだけをした。
帰ってきた妻が「珍しいね」と言った。
俺も、そう思った。
楽していいのか、という感覚がその日から薄くなった。
息子と遊べたという事実が、先に来た。
機械に任せた時間が、別の場所に移っただけだった。
今、後ろめたさはない。むしろ手でやるのがめんどくさい
あれから、罪悪感はなくなった。
完全に。
今は逆のことを思っている。
家電を使わずに家事をするのが、めんどくさい。
それが正直なところだ。
ホットクックがある生活に慣れると、「自分で火を見る」という行為が選択肢から消えた。
料理を頑張ることへの興味が、なくなった。
これが手抜きかと言われると、そうとも言える。
でも俺の中では、そういう感覚ではない。
浮いた時間に息子と遊んだ。
浮いた気力で、妻の話をちゃんと聞けた。
浮いた頭で、翌日の仕事のことを考えられた。
「楽した」のではなく、使う場所が変わった。
料理に使っていた注意力を、別のところに向けただけだ。
機械に任せた分だけ、俺には余白が増えた。
頑張るのをやめたら、機嫌がよくなった。
「楽」は手抜きじゃなかった
「楽していいのか」と、ずっと思っていた。
ホットクックを買う前から、買った後も、しばらくそれが続いた。
今は思わない。
楽した分、息子と遊んだ。
楽した分、妻の話を聞いた。
楽した分、翌日の仕事を落ち着いて迎えた。
手をかけることが家事だと思っていた。
でも、手をかけない分だけ、頭が静かになった。
家電は、時間を作る道具じゃない。
判断を減らす道具だ。
「今日は何を作るか」「火加減はどうか」「焦げていないか」、そういう小さい判断が消えた。
消えた判断の分だけ、夜が少し静かになった。
楽していいのか、という問いには、今もうまく答えられない。
ただ、息子がブロックを積み上げるのを隣で見ていると、答えはどうでもよくなる。
設計は、頑張るためにするんじゃない。
静かにするためにする。
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