暴落でも、相場を見ない。だから動揺しない

お金の設計

オルカンを、毎月積み立てている。
でも、相場は見ない。
暴落が来ても、たぶん気づかない。

暴落のとき、俺は相場を見ない

株が暴落した、というニュースは、たまに見る。
でも、自分の口座は見ない。
いくら減ったかも、確認しない。

FXの頃は、逆だった。
運転の合間も、スマホでチャートを開いていた。
今は、開かない。

見ないから、慌てようがない。
慌てる材料が、手元にないからだ。

見ないから、暴落が暴落じゃなくなった

コロナのときも、大きなニュースのときも。
「下がったらしい」と、あとから知った。
そのときリアルタイムでは、気にしていない。

だから、俺の中には「暴落が来た」という感覚がない。
来たことに、気づいていないだけかもしれない。

俺は、戻るほうに置いている。
20年後に使う金なら、今日の上下まで追わなくていい。

いつ暴落が来るかは、誰にも当てられない。
当てられないものを、見続けても疲れるだけだ。

暴落は、事件じゃなくなった。
ただの、想定内だ。

増やした金は、20年後に使う

よく聞かれる。
「いつ売るの?」と。

今は、売らない。
使う予定が、まだないからだ。

使うのは、たぶん20年後。
息子はその頃、もう大人になっている。
俺は、今みたいには走れないかもしれない。
それまでは、置いておくだけだ。

20年後に上がっているほうに、賭けている。
だから、今日いくらかは、どうでもいい。

その時に下がっていたら、全部は売らない。
必要な分だけ、少しずつ使う。
そう考えているから、今日の値段を見なくて済む。

売り時を、探さない。
俺にとっては、必要になった時が売る時だ。

FXの頃は、上がっても下がっても動揺していた

FXをやっていた頃は、ずっと落ち着かなかった。

増えても、使えない。
決済しないと、ただの数字だ。
そして、なかなか決済できない。
「まだ上がる」と、思ってしまうからだ。

上がれば、もっと欲しくなる。
下がれば、取り返したくなる。
どっちに転んでも、動揺していた。
一日中、頭の片隅で相場が動いていた。

あれは、増やしているようで、削られていた。
削られていたのは、金だけじゃなかった。
頭の静けさだった。

見ないことが、俺にはいちばん静かだった

今の投資は、退屈だ。
買って、見ない。
それだけだ。

でも、その退屈が、ちょうどいい。

相場に使っていた頭を、今は家族に使える。
息子と飯を食っているとき、チャートは浮かばない。

見ないことが、俺にはいちばん合っていた。
増やすために、頭まで取られたくない。

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