妻にありがとうが言えない理由と、言えた日の話

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妻への「ありがとう」が出てこない。
思っていないわけじゃない。
ちゃんと思っている。
でも口から出ない。

長距離から地元の仕事に変わって、毎日一緒にいるようになった。
一緒にいる時間が増えたのに、言えない頻度が増えた。
なぜそうなるのか、ずっと引っかかっていた。

言い方の問題じゃなかった。
「当たり前」にしてしまう構造の問題だった。
冷蔵庫に弁当が入っていた日、それがわかった。


毎日一緒にいるのに、なぜか言えなくなった

毎日飯を作ってもらっている。
洗濯もしてもらっている。
でも「ありがとう」は言えていない。
むしろ、一緒にいる時間が増えてから、言いにくくなった。
おかしな話だと思う。
でもそうなった。

久しぶりのときは言えた。毎日になったら言えなくなった

長距離をやっていた頃は、週に数日しか家にいなかった。
帰ってきたとき、妻が飯を作っていると素直に言えた。
「久しぶりに帰ってきた」感覚があるから、言葉が軽かった。

地元の仕事に変わって、毎日帰るようになった。
帰宅が「日常」になった。
そうしたら、言うタイミングが消えた感じだ。

毎日やってもらっていると、それが「普通の状態」になる。
「普通の状態」には、言葉が生まれにくい。


近くなるほど、言葉が遠くなる。


3歳の息子を見て、恥ずかしくなった

息子は何かしてもらうたびに、当たり前みたいに言う。
まだ3歳なのに。

それを横で見ていて、なんか恥ずかしくなった。

3歳が言えて、40代が言えない。
難しい言葉じゃない。
たった5文字だ。


3歳は「当たり前化」していない。だから言える。


言おうとすると照れる。照れると別の言葉を探す

言おうとすると、口の中で止まる感じがある。
照れる。
照れると、別の言葉を探す。
探しているうちに、タイミングが過ぎる。

「おいしい」は言える。
「うん、わかった」も言える。
でもその一言だけが、なぜか正面から言えない。

40代で照れる、というのも情けない話だが、そうなのだから仕方ない。


照れは意志で消えない。タイミングが消えていくだけだ。


「当たり前」にしたから、見えなくなった

最初は「言い方の問題」だと思っていた。
でも違った。
問題は言い方の前にあった。
「当たり前」にしてしまう構造の問題だった。

毎日やってもらうと、背景に溶け込む

仕事から帰ると、飯がある。
洗濯物が畳まれている。
息子のお風呂が済んでいる。

それが「普通の状態」になると、見えなくなる。
妻の行動が、景色になる。
景色になったものには、言葉が生まれない。

思っていないんじゃない。
ただ、受け取れていない。


見えているものと、受け取れているものは違う。


冷蔵庫に入っていた弁当で、急に言えた

先週、仕事のある日に冷蔵庫を開けたら弁当が入っていた。
前の日の夜に「明日は弁当ないから外で食べる」と言っただけだった。
なのに、朝のうちに作っておいてくれていた。

そのとき、自然に出てきた。

驚いたから、自然に出てきた。

その瞬間、言えなかった理由が少しわかった気がした。


予想の外にあるものが、言葉を引き出す。


「言い方を変える」より先にやること

「もっとちゃんと言おう」と思っても続かない。
意志の問題じゃないから、意志では解けない。
「当たり前化」を少しずらすだけでいい。

言う練習より、見る練習の方が先だ

「毎日ありがとうと言う習慣をつけよう」とやってみたことがある。
3日で忘れた。

習慣にしようとすると、また「当たり前」になる。
同じループだ。

そうじゃなくて、「相手の行動を改めて見る」ことが先だと思った。
スマホを見ながら「うん」と受け取るのをやめて、顔を上げて受け取る。
それだけで、気づくことが増える。
気づくと、言葉が出やすくなる。


言えない状況のまま、言えるようにはならない。


言えた日のことを覚えておく

弁当のことは、今でも覚えている。
言えた日のことを覚えておくと、少し変わる気がする。

「毎日言えるようになろう」じゃなくていい。
「あのとき言えた」を積み上げていく感覚の方が、続く。


積み上げるのは「言えた回数」より「言えた記憶」だ。


今日も言えていない。でも弁当のことは覚えている

今日も夕食の一言は言えていない。

でも、弁当のことは覚えている。

それだけで、少し違う気がしている。

「言える夫」を目指すより、「言えた瞬間」を覚えておく方が、自分には合っている気がする。


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