40代の疲れが取れないのは脳が終業していないから

脳の休ませ方

休日に横になっていても、翌朝が重い。
仕事は終わったはずなのに、なんとなくすっきりしない。
「自分、根性なしなのかな」と思ったことがある。

でも、違った。

疲れていたのは体じゃなく、脳だった。
スマホを見ていた。テレビをつけていた。
「休んでいるつもり」で、脳はずっと動き続けていた。

脳に終わりを教えてあげると、翌朝が変わった。
難しいことじゃない。
終わりの時刻を決めるだけでいい。


休みの日の夜、なぜか疲れが取れなかった

仕事が休みだった。
午後はソファで横になって、息子とごろごろして過ごした。
夕食も早めに食べた。
10時には布団に入った。
それでも翌朝、なんとなく重かった。
「あれ、休んだのに」と思った。
あの感覚が、ずっと引っかかっていた。

仕事を終えたのに、ぼんやり感が残っていた

トラックを降りたとき、「終わった」とは思う。
でもそのあと、頭の中がすっきりしない時間が続く。
なんとなく、次の段取りを考えていたり。
今日の配送で迷ったルートをもう一度なぞっていたり。
体は帰っている。
でも頭は、まだ仕事のどこかにいる。

それに気づいたのは、息子に「ねえ、聞いてる?」と言われたときだった。
聞いていた。でも聞けていなかった。
ぼんやりが、無意識の「仕事の延長」だったと気づいた。


頭の終業時刻は、体の終業時刻より遅れる。


「今日は休んだはず」なのに、翌朝が重かった

翌朝、6時に起きる。
「昨日は休みだったのに」と思いながら、布団から出る。
体は起きている。
でも頭がついてこない。

ただ、原因を間違えていた。
「睡眠が足りないのかも」と思って早く寝た。
「運動不足かも」と思って朝に歩いた。
全部、効かなかった。

体にアプローチしていたが、問題は体じゃなかった。


取れない疲れの原因が、体じゃないとしたら。


休んでいるつもりで、脳は全力で動いていた

「疲れたらスマホ」をずっとやっていた。
「何もしていなかった」と思っていた。
でも違った。
休めていたのは体だけで、頭はずっと稼働中だった。

スマホのスクロールは「休憩」ではなかった

仕事から帰ったら、まずソファに座る。
そのままスマホを開く。習慣になっていた。

スクロールを止めるとき、妙な抵抗があった。
「もう少し」と思って、閉じられなかった。
意志が弱いからじゃない。

スマホを見るとき、脳は「判断」をしている。
「これは面白いか」「いいねを押すか」——

一回一回は小さくても、1時間で何百回と繰り返す。
朝からさんざん判断してきた脳が、家でも判断し続けていた。


閉じられないのは、意志の問題ではない。


テレビのながら見も、脳には「仕事」だった

食事しながら、息子の話を聞きながら、テレビも見る。
複数の刺激を同時に処理すること自体が、脳にはコストだった。

テレビを消してご飯を食べた日の夜、なんとなく静かだった。
息子の話をちゃんと聞けた気がした。
偶然じゃなかったと、あとで分かった。


「ながら」は脳に優しくない。


40代の疲れの正体は、判断疲労だった

40代の疲れを「体の疲れ」として処理してきた。
早く寝る、湯船に入る、運動する。
全部やった。全部、あまり効かなかった。
原因を間違えていた。

朝から積み重なる「小さな決断」の重さ

朝起きてから数えてみた。
「今日の服、何にしよう」
「今日の配送、どのルートで行こう」

一つひとつは小さい。
でも帰宅するころには、脳のリソースがかなり減っていた。


疲れの正体は、判断回数の積み重ねだった。


仕事後の脳は、すでに赤字状態で家に帰る

トラックを降りた瞬間、脳のタンクはほぼ空だ。
でも家に帰ると、また判断が待っている。
「夕食、何にする?」「お風呂、先に入る?」「息子の宿題、今日やった?」

妻に聞かれたとき、うまく答えられないことがある。
「なんでもいい」と言ってしまう。

あれは怠けじゃなかった。
脳が、本当に空っぽだった。


「なんでもいい」は、判断コストの残高ゼロのサインだ。


脳に「今日の終わり」を伝える夜の設計

「頑張って閉じる」をやめた。
代わりに、閉じる時刻を決めた。
夜の判断をあらかじめ減らした。
それだけで、翌朝が静かになった。

スマホを閉じる時刻を決める

「スマホをやめよう」と思ったことは何度もある。
全部、失敗した。
「もう少し」が止まらなかった。

やり方を変えた。
「やめる意志」ではなく「終わる時刻」を決めた。
21時30分になったら、スマホを伏せる。
見たいものがあっても、そこで終わり。

続けていると、21時30分になると自然に手が止まるようになった。
脳が「ここで終わり」を覚えていった。


意志で閉じるより、時刻で閉じる方が続く。


夜の選択肢を、前もって減らしておく

「夕食、何にする?」という質問が、帰宅後いちばんきつかった。
考えたくないのに、考えなきゃいけない。

朝に決めることにした。
出かける前に「今夜はこれ」と決めておく。
献立だけじゃない。「お風呂は先か後か」も決めておく。

夜に判断する回数がゼロに近くなった。
帰ってから「考える」を、ほぼやめた。


夜の判断を、朝の自分に肩代わりさせる。


何も決めない時間を、意図的につくる

息子が寝た後の30分を、「何もしない時間」にした。
スマホも見ない。テレビもつけない。
缶コーヒーを持って、ただ座っている。

5分もすると頭が静かになってくる。
考えていたことが、ゆっくりと沈んでいく感じがする。

意識的に何もしない時間を入れないと、脳は勝手には止まらない。


静かな30分が、翌朝の頭を別物にする。


翌朝、頭が静かになった

変わったのは、意志の強さじゃない。
夜の設計だけ変えた。

設計が変わったから、翌朝が変わった

翌朝、トラックに乗った。
いつもと同じ時間に、同じ道を走る。
でもなんか、頭が静かだった。

昨日の夜、特別なことはしていない。
スマホを21時30分に伏せた。
夕食を朝に決めておいた。
缶コーヒーを飲みながら、30分ぼんやりした。

それだけだった。
頑張ったわけじゃない。
設計が変わったから、変わった。

体力は戻らなくても、脳の疲れは設計で減らせる。
それが分かっただけで、少し楽になった。


脳を休ませるのに、根性はいらない。


 

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