仕事が終わっても、頭が止まらない日がある。
家に帰って、ソファに座っても、まだ仕事のことが頭を回っている。
体は疲れているのに、頭だけが忙しいまま夜になる。
俺はトラックドライバーで、一日の大半を座って過ごす。
体はほとんど動かさない。
その分、頭だけがずっと動き続けている。
そんな日に、犬の散歩に出ると、頭が片づく。
散歩を始めたのは、犬を飼い始めてからだ。
運動のためじゃない。
義務だから連れていく、最初はそれだけだった。
でも気づいたら、散歩から帰るたびに頭が軽くなっていた。
毎日じゃない。夏はだれてきた。
それでも、気が向いたときだけ歩けばいい、とわかってから続いている。
一日6時間、座って運転している
今の仕事は、近距離の配送だ。
以前は長距離で、一日600キロ以上走ることもあった。
今は距離が短くなったが、それでも6〜8時間はハンドルを握っている。
体はほとんど動かさない。
車から降りるのは、荷降ろしのときと、休憩のときだけだ。
一日の歩数を計ったことはないが、たいした距離じゃないと思う。
それなのに、帰り道になると頭だけが重くなる。
次の配送先、時間の読み、渋滞の抜け道、後続車との距離。
意識しているつもりはなくても、頭はずっと何かを処理し続けている。
エンジンを切っても、頭の中の「走り」はすぐには止まらない。
仕事が終わった感じのしないまま、家に向かっている。
体を使っていないから、疲れていないわけではない。
動かない時間が長いほど、頭だけが働き続ける。
座っているほど、頭は静かにならなかった。
帰宅後、頭のざわつきが残っている
家に帰ると、体はすぐ止まる。
靴を脱いで、椅子に座れば、もうどこにも行かなくていい。
でも頭だけが、まだ動いている。
夕飯を食べながら、今日の段取りを振り返っている。
風呂に入りながら、明日のルートをイメージしている。
寝転がっても、何かがぐるぐるしている。
切り替えようとするほど、うまくいかない。
スマホを見ると、また何かが入ってくる。
テレビをつけても、背景音になるだけだ。
頭が「仕事終わり」を受け取れていない感じ、とでも言えばいいか。
体の疲れじゃなくて、頭の問題だった。
終わっているのに、終わっていなかった。
犬の散歩をしたら、頭が空になった
犬を飼い始めてから、夕方に散歩に出るようになった。
最初は義務感だけで連れていった。
帰宅してすぐ、飯を食う前に、とりあえず外に出る。
歩き始めてしばらくすると、頭の中がすうっと静かになる。
考えようとしていないのに、仕事のことが浮かばなくなる。
犬がどこへ向かおうとしているか、道の先に何があるか。
意識がそっちに向いて、それだけになる。
スマホを見ない。音も少ない。犬の歩く速さに合わせる。
それだけで、頭の中の仕事の速度が落ちていく。
15分か20分か。
帰り道になるころには、頭の重さが変わっている。
長く歩く必要はなかった。
外に出て、頭の向きを変えるだけでよかった。
仕事のことがゼロになるわけじゃない。
でも、あのぐるぐるが、少し遠くなっている。
歩いていると、考えることをやめられた。
毎日じゃない。夏は、だれてきた
正直に書いておく。
毎日散歩しているわけじゃない。
帰りが遅い日は、そのまま寝る。
疲れすぎている日は、玄関を開けるのもしんどい。
雨の日は、犬も嫌がることがある。
夏になってからは、だれてきた。
外に出ると暑い。
歩いていると汗が出る。
犬もへばって、歩く距離が短くなった。
それでも、罪悪感はあまりない。
歩いた日は、ちゃんと頭が軽くなる。
歩けない日は、歩けない日でいい。
できない日があることが、正直なところだ。
「やらなきゃ」にしないから続いている
習慣化の話をよく聞く。
毎日同じ時間にやる、記録をつける、仕組みで続ける。
俺の散歩は、そのどれでもない。
犬が行きたそうにしているとき。
頭がざわついていると感じたとき。
夕方にたまたま時間ができたとき。
そういうときだけ、外に出る。
アプリも使っていない。
歩数も気にしていない。
どこを歩くかも決めていない。
「毎日続けなきゃ」と思っていたら、とっくにやめていたと思う。
「気が向いたらでいい」と決めたから、今も続いている。
それでも、月の半分以上は歩いている。
「やらなきゃ」と思ったことは一度もないのに。
義務にしなかったから、続いた。
犬がいなくても、散歩で頭は少し片づくのかもしれない。
でも俺の場合は、犬がいたから外に出られた。
自分のためだけだったら、続かなかったかもしれない。
犬の散歩は、俺にとって運動ではない。
頭を片づける時間になった。
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