毎日「何食べたい?」と聞いていた
夕方になると、決まって聞いていた。
仕事から帰って、着替えて、冷蔵庫を開ける前に。
「今日、何食べたい?」
聞くのが当たり前になっていた。
子どもに聞くのが、普通の親のやることだと思っていた。
40代になってから、仕事の判断だけでなく、子育ての判断にも疲れる日が増えた。
3歳の息子に、夕方になると聞いていた
息子は今年で3歳になった。
保育園から帰ってくる時間は、だいたい18時すぎ。
俺が先に帰っているか、ほぼ同時に着くかのどちらかだ。
玄関を開けると走ってくる。
「おかえり」と言う前に、俺はもう聞いていた。
「今日、何食べたい?」
最初は返事があった。
「カレー」とか「チキン」とか、なんとなく答えていた。
でも数ヶ月もすると、答えが固定された。
「うどん」か「なんでもいい」。
それ以外が返ってくることは、ほとんどなくなった。
答えはいつも「なんでもいい」か「うどん」
「なんでもいい」という言葉が、3歳から出てくるとは思っていなかった。
最初は笑った。
「もう”なんでもいい”って言えるのか」と。
でもある日気づいた。
これ、俺と同じだ。
疲れているとき、妻に「何食べたい?」と聞かれると「なんでもいい」と答える。
考えたくないからじゃない。
考える余裕がないんだ。
3歳の息子も、同じだったのかもしれない。
保育園でいろんなことを処理してきて、帰ってきた瞬間に「今日何食べたい?」を処理させていた。
「なんでもいい」は正直な答えだった。
聞くたびになんとなく消耗していた
毎日「何食べたい?」と聞いて、毎日「うどん」か「なんでもいい」と返ってきて、毎日俺が結局決める。
この繰り返しが、気づかないうちに疲れていた。
聞く。返答を受け取る。判断する。
全部で3回の動作だ。
一つひとつは小さい。
でも毎日続くと、積み重なる。
小さい判断ほど気づきにくい。
判断疲れについては別の記事でも書いた。
疲れた夕方に、余分な手順を踏み続けていた。
聞かなければ、最初から俺が決めるだけでよかった。
なぜ聞き続けていたのか
それでも聞くのをやめられなかったのは、「聞かない親はよくない」という感覚があったからだ。
子どもの意見を尊重する。
選ばせることで自主性が育つ。
そういう話を、どこかで読んだり聞いたりしていた。
だから毎日聞き続けた。
聞くことが「正しい親のやること」だと思っていたから。
「選ばせること=自主性を育てること」だと思っていた
自主性を育てることは大事だと思う。
今でもそう思っている。
でも3歳の夕食に、自主性は関係あるのか。
「何食べたい?」に答えられることと、自主性が育つことは、別の話じゃないか。
考えてみれば、息子は保育園でいろんなことを「自分で決めている」。
着替え、遊び、友達との関わり。
夕食の献立を聞かれることで自主性が育つかどうか、正直わからない。
ただ、疲れた顔で帰ってきた3歳に、毎日判断を求めていたのは確かだ。
でも3歳は、選べる状態にすらない
「カレーかうどんか」と聞けば答えられる。
でも「何食べたい?」は選択肢が無限にある。
3歳にとって、選択肢が無限の質問は答えようがない。
だから「なんでもいい」になる。
選べないのは意欲がないからじゃない。
選ぶための情報が足りないからだ。
今日の冷蔵庫に何があるか、どれが作れるか、何分かかるか。
3歳はそれを知らない。
知らないまま「何食べたい?」と聞かれ続けていた。
「何食べたい?」は親のための質問だったかもしれない
ある夜、気づいた。
俺は何のために聞いていたんだろう。
息子のためだと思っていた。
でも本当は、「聞いた」という事実が欲しかっただけかもしれない。
「子どもの意見を聞く親」でいたかった。
でも息子の返答は毎回「なんでもいい」で、俺は毎回決めていた。
聞く意味が、なかった。
この記事で書いているのは、子どもの意見を無視する話ではない。
疲れた夕方だけ、親が判断を引き取るという設計の話だ。
子どもに選ばせる場面は残す。
ただ、毎日の夕食だけは親が決めることにした。
「決める」を親が引き取った
去年の冬頃から、聞くのをやめた。
理由は深くない。
ある日、聞くのが面倒になった。
それだけだ。
「今日はカレーだよ」と言った。
息子は「やったー」と言った。
あ、これでいいのか、と思った。
やめたのは聞くことだけ
「何食べたい?」を聞くのをやめた。
それ以外は変えていない。
息子と一緒にご飯を食べる。
「おいしい?」と聞く。
「おいしい」と返ってくる。
そこは変わらない。
変わったのは、夕食を決めるタイミングと、その判断を誰がするかだけだ。
俺が引き取った。
それだけのことだった。
献立固定の子育て版。4パターンのローテーションを持ち込んだ
夕食の献立は、以前から4〜5パターンで回している。
カレー・煮魚・焼き鳥定食・焼きそば・うどん。
これをローテーションしているだけだ。
このパターンを回すようになってから、買い物も週1で回るようになった。
まとめ買いの設計についてはこちらに書いた。
息子に聞くのをやめてからは、このローテーションをそのまま「子育て版」に使うことにした。
息子の前に「今日はカレーだよ」と言う。
「やだ」と言ったら「じゃあうどんでもいいよ」と言う。
選択肢は最大2つ。
「なんでもいい」とは言わせない設計だ。
「今日はカレーだよ」と言うと、意外と楽だった
最初は少し心配していた。
「俺が決めていいのか」という感覚があった。
でもやってみると、息子は普通に受け入れた。
「カレーか、うどんか、どっちがいい?」と聞いた日より、「今日はカレーだよ」と言った日の方が、息子の顔がすっきりしていた気がした。
迷わなくていいから、だろうか。
決まっていることが、安心になっていたのかもしれない。
親が決めてくれているという安心。
そういうものが、3歳にもあるんだと思った。
夕食時間が変わった
やめてから数週間で、夕食の雰囲気が変わった。
劇的な変化じゃない。
ただ、なんとなく静かになった。
息子が落ち着いている時間が増えた。
俺も、夕方に余計なことを考えなくなった。
息子が迷わなくなった
「今日は何?」と聞いてくることが増えた。
以前は「何食べたい?」と聞いていたのに、今は息子の方から聞いてくる。
逆転した。
「今日はカレーだよ」と答えると、「やったー」か「えー」かのどちらかだ。
「えー」と言ったときだけ、もう一つの選択肢を出す。
それで決まる。
迷いがない。
子どもが迷わないと、夕食の準備が静かに進む。
俺の夕方の頭も静かになった
「何食べたい?」を聞かなくなってから、夕方の頭の使い方が変わった。
帰宅してから夕食が始まるまでの時間。
以前はその中に「子どもに聞く→答えを処理する→判断する」が入っていた。
今はない。
玄関を開ける。息子が走ってくる。「おかえり」と言う。
着替えながら「今日はカレーだよ」と言う。
それだけだ。
判断が一つ減った。
小さい話だと思うかもしれない。
でも毎日続く「小さい判断」は、積み重なると重い。
それが消えると、夕方が少し静かになる。
「決めてあげること」が親の仕事だと気づいた
子どもに選ばせることが、親の正しい姿だと思っていた。
でも今は少し違う考えを持っている。
選べる状態にない子どもに選ばせるのは、やさしさじゃないかもしれない。
決めてあげることが、安心を作ることもある。
親が「今日はこれだよ」と言える状態でいること。
それが設計だと思うようになった。
親が疲弊すると、子どもにも伝わる
「何食べたい?」をやめたのは、面倒になったからだ。
でもやめてから気づいたことがある。
疲れた状態で聞いていた俺の顔を、息子は見ていた。
返答が「なんでもいい」だったのは、もしかすると俺の顔を読んでいたからかもしれない。
「どうせパパが決めるんでしょ」と、3歳なりに感じていたかもしれない。
機嫌のいい親でいることが子育ての設計
子育てでやれることは無限にある。
でも疲弊した状態でやっても、届かないことがある。
機嫌のいい親でいること。
それが子育てで一番大事な設計かもしれない、と今は思っている。
夕食の献立を決める判断を一つ減らすことが、機嫌を守ることにつながる。
小さすぎると思うかもしれない。
でも毎日の小さい疲弊が、機嫌を削っていく。
設計は細部から始まる。
「選ばせない」は冷たさじゃない
「選ばせないのは子どもの意思を無視している」
そう思われそうで、最初は人に言えなかった。
でも息子を見ていると、決められることで安心している場面がたくさんある。
「今日はお風呂から先だよ」
「今日は早く寝る日だよ」
決められると、迷わない。
迷わないと、機嫌が安定する。
選ばせることと、決めてあげること。
両方が必要で、どちらが正しいとは言い切れない。
ただ、疲れた夕方の食事だけは、俺が決める。
安心して食べる時間が、家族の夕食になった
今の夕食時間は、以前より静かだ。
息子は「今日は何?」と聞いて、「カレーだよ」と言われたら席に座る。
俺は答えながら鍋を火にかける。
余分な会話がない。
余分な判断もない。
ただ、夕食が始まる。
献立を聞かれなくなった息子が不満を持っているかというと、そうは見えない。
むしろ、夕食への集中が上がった気がする。
決められた安心の中で、食べることだけを楽しんでいる。
それが、今の家族の夕食だ。
よくある質問
子どもに夕食を選ばせないのはよくないですか?
毎回選ばせないことと、意見を無視することは別だと思っている。
疲れた夕方だけ親が決めるという方法もある。
子どもが意見を言える場面は、夕食以外にいくらでもある。
3歳でも親が決めた方がいいですか?
子どもの性格にもよる。
ただ、選択肢が多すぎると答えにくいこともある。
「カレーかうどんか」のように2択にするだけでも、判断の負荷は大きく変わる。
子どもが嫌がったらどうしていますか?
わが家では代替案を1つだけ出している。
「やだ」と言ったら「じゃあうどんでもいいよ」と言う。
選択肢を増やしすぎないのがポイントだ。
*判断を設計することで、家族の時間が静かになった。献立固定の話はこちらにも書いた。*
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